2020年11月7日

天気:雨 山の方から霧がすごくたくさん出ていた

 

 雨だったのでジョギングをせず、いつもより起きるのを遅くした。前日の仕事でメンタルをやられていたので、雨を理由に布団の中でごろごろと現実逃避をしていた。

 もう秋を飛ばして冬になってしまったのでないかと思っていたが、今日の気温は雨ではあったが秋らしい感じだったと思う。

 

 今日は昼前から動き出し、キャンプ用品を買いに行っていた。私は安くて楽という理由で「現物を見てAmazonで買う」地域に金を落とさない典型的な人間だが、欲しいものの価格が中々下がらなかったり、在庫が無かったりするため、自分の行動範囲で買ってしまおうと決心していろんなお店を梯子していた。

 欲しかったのはコンパクトな折りたたみ椅子とアルミのロールテーブルだ。通常?サイズは持っているのだが、バイクのツーリングをするときに持っていけるものが欲しくて買い求めた。出先でコーヒーやカップ麺を楽しみたいのだ。

 

 店を3軒ほど回って良さげなものを買った。家には直帰せず、たまに行く喫茶店で本を読んでから帰ろうと決めていたので、そのまま喫茶店に行った。喫茶店は人が多く、赤ん坊を連れた女性二人組の隣の席で、赤ん坊から見つめられながらの読書になった。

 今日読んだのは川村元気の「四月になれば彼女は」だ。内容は省くが、物語の後半は読み進める自分の手が震えていることに驚いた。この物語を読んでいた時の自分の感情や感覚はずっと自分の中に残り続けるだろうという確かな予感がする作品だった。

 

 本を読んで手が震えたのは初めての経験だった。なんでかは分からなかったが、巻末のあさのあつこによる解説を読んで納得した。解説の言葉を使うならば、この物語は”残酷なシーンなど一つも出てこない最上等の残酷な物語”なのだ。

 この物語について、私は人に勧めこそすれど、読後の感想は語りあうべきではないと感じた。大切な宝物のように、消すことのできない傷のように、こっそりと人から隠して大切にしまっておきたい。時間をかけてもう一度読みたいと思える作品だった。

 

 家に帰る途中、山の方から霧がもうもうと立ち上っているのを見た。私は山に霧がかかっている景色が好きだ。山にかかる霧を見たとき、私はそこから何とも言えない神々しさや厳かさ、ある種の畏れを感じ取る。霧がかかった山から見る街並みはただぼやけて見えるだけなのに、逆から見ると印象ががらりと変わるところに人間の勝手な主観やエゴのようなものを感じる。

 

 夕食で少し飲みすぎてしまった。反省。

 

今日はこの辺で

ではまた