【三題噺】緑色 狼 先例のない幼女

  目を開けると薄暗い廊下に立っていた。辺りは暗いから、きっと夜なんだろうと幼女はぼんやりと思った。ここはおばあちゃんが前入院していた時にお見舞いで来た病院に雰囲気が似ている建物のようだ。

 さっきまでお母さんと家の寝室に寝ていたはず。なのにここは寝室ではないし、隣にお母さんも、手に握っていたクマのぬいぐるみもない。

 辺りは静寂に包まれていて、自分の息の音がうるさいくらいに響くような感じがしたとき、思い出したように恐怖が込み上げてきた。こういった体験をした先例のない幼女は、込み上げてくる嗚咽を抑えきれずにとうとう泣き出してしまった。

 

 ひとしきり泣いて落ち着いてころ、それまで静かだった廊下に微かな音が響くのを感じた。

  ぴちゃ…ぴちゃ…くちゃ…

 何かが滴るような、咀嚼の音が聞こえてくる。そしてその音はだんだんと近づいてくるように感じた。

 音の次に感じたのは匂い。狼のような獣の匂いと鉄の匂いが少しずつ、ゆっくりと濃くなってきた。

 

 幼女は無我夢中で走り出した。きっとここを出れば助かるような気がしたのだ。

 見覚えも心当たりもない病院の通路を走って、走って、走った。足を止めるとまた音と匂いが近づいてくるような気がして、幼女は泣きながら出口を探して走り続けた。

 

 何個かの曲がり角を曲がり、階段で何階か降りた。息も絶え絶えな幼女の前にあるのは緑色の電灯が上部に付いた扉だった。

 

 藁をも縋る思いで重い扉を開ける。扉の先は真っ暗で何も見えず、幼女は本能的な恐怖を感じた。何とか別の道を探さなくては。幼女はそう考えた。

 しかし、音と匂いがすぐそこまで近づいていることを感じ取り、幼女はとっさにその扉の中に足を踏み出してしまい、そのまま音もなく真っ暗な闇の中に落ちていった。

 

 

 幼女が落ちてしばらくしてから、扉は大きな音を立てて閉まると、それに合わせて上部に付いていた緑色の電灯も消えた。

 

 その扉が内側から開くことは二度となかった。