【三題噺】光 井戸 いてつく運命 

光 井戸 いてつく運命  ジャンル「偏愛もの」

 

 冷たい井戸の底から今日もあなたのことを考える。この井戸は暗く、じめじめとしている。どうしてこの井戸の中にいるのか、理由はもう分らない。井戸の上を日が通り、月が通る。その繰り返しが延々と続くのみだ。

 

 井戸の中には案外いろんなものが落ちてくる。木の葉、塵、酔っ払いの中年、身投げの少女。私はこう見えて几帳面な性格なので、ゴミは外に出し、少女は家に送り返す。

 

 雨が全然降らず、井戸の水がすっかり干上がってしまった夏の真昼、すっかり夏の暑さにばてた私は井戸の底で大の字に寝転んでいた。すべてを焼焦がさんとする容赦ない太陽の光にうんざりしていると、小学生くらいの少年が井戸の中を覗き込んできた。私の姿は人には見えないので特に何も考えずに少年の顔を見ていると、少年は興味がなくなったのかどこかに走り去っていった。

 

 その日は何ともなかった。次の日も何ともなかったように思う。だが気が付いた時には私は少年のことばかり考えるようになった。

 

 なぜだろう。どうしてこんなに少年に会いたいと思うのだろうか。誰かのことを考えて胸が締め付けられるのは初めてだ。私は自分自身の感情に戸惑った。今まで落ちてきた人間には何の感情も抱かなかったのに。

 

 彼は今何をしているだろうか。また井戸を覗き込んでくれるだろうか。そんなことを考えながら私は井戸の底で落ち着きのない日々を送った。

 

 可能ならばこの井戸を出て彼のもとに行きたい。話すことはできなくても、彼の様子を遠目に見て、見守っていきたい。なぜか井戸から出ることのできない自分がもどかしく、悔しかった。

 

 気が遠くなるほど井戸の上を日が通り、月も通り過ぎて行った。ある夏の夜、真っ暗な井戸の底に、一筋の光が差し込んだ。光は四角い窓から漏れている。窓のほうを見ると、椅子に座り、強張った顔でこちらを見る男の姿が見える。その男の顔を見たとき、私は止まっているはずの心臓がトクンと高鳴るのを感じた。歳を取り、背格好が変わっても分かる。“彼”だ。

 

 足がもつれて倒れるのももどかしく、這って彼のもとまで急ぐ。ようやく。ようやく彼に会えた。最初はなんて声をかけよう。その次は何の話をしよう。私の頭の中は彼一色だ。

 

 窓に手をかけ、身体ごと落ちるように窓の向こう側に身体を乗り出した。顔が真っ青になって固まっている彼を見て、私は「可愛いな」などと場違いにも思いながら、頬を赤く染めて彼の前に立ち、そこで自分のいてつく運命を全て思い出した。

 

 井戸に私を縛り付けていたのは私自身だった。井戸は人が私を閉じ込めるために作ったものではなく、私が好きになった人を守るために私自身が作ったものだった。

 

 ああ、今回もダメだった。

 

 冷たくなった彼の顔をしばらく眺めた私は、声をあげて泣きながら、暗く、じめじめとした井戸の底へとまた戻っていった。