Opportunité

 社会人になって初めての誕生日、一日を振り返っての感想は「しんどい」の一言に尽きる。

 大人しく酒飲んで寝ればいいのかもしれないが、高校時代に好きだった物書きさんの名前を思い出したので、いい機会だとつらつら昔の話を垂れようと思った。

 

 小さいころから本をよく読んでいたが、その動機は変わっていたように感じる。保育園~小学校に上がるまでは、祖母から「あなたのお母さんも本を読むのが好きだったのよ」という言葉を聞き、「じゃあ僕も好きだ」という論理の飛躍も甚だしい理由で保育園の絵本を片っ端から読み漁った。読めるひらがなを指で追い、絵の雰囲気から楽しい話か悲しい話かを何となく感じ、終わったら読んだ絵本の隣の絵本を読んだ。何が楽しかったのか今でもわからない。

 

 小学校2~6年までは「分厚い本を友達より早く読む」ために本を読んだ。その頃には粗方字が読めるようになっており、読めない漢字は雰囲気で感じ、別の本や教科書で読み方を習うのを待つスタイルだった(笑)一応話の内容を追ってはいたが、小学生の僕にはハリー・ポッターがどんな冒険をするのかよりも、どこまでなら読み飛ばしても友達から本の内容を聞かれてもボロが出ないか(きちんと説明できない=ノーカウントという暗黙のルールがあった)にハラハラドキドキしていた。

 

 ここまでくると、別に本を読むことが好きではなかった僕も、本を読むこと自体には抵抗がなくなり、自分の行動の選択肢に「本を読む」が自然と入ってくるようになる。小学校高学年の時に起きた「トリビアブーム」。図書館から借りてきたトリビアの本を片手にどや顔で知識をひけらかしてくる同級生に腹が立った僕は、わざわざ地域の図書館に通いつめ、児童書コーナーには目もくれず、ひたすら一般書架の本を読んだ。

 この時は純粋に「本が読みたい!」と感じて本を読んでいた。本の形をしていればなんでもよかったからだ。

 やたらめったらな読み方をし、いろんな本を「食い散らかした」僕だったが、幼心に「同い年の人が知らないようなことを知りたい」と思ったことが今の知的好奇心の源になっているのかなぁ…と感じる。

 

長くなったので今日はここまで。